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Bee 米好

April 21

妊婦のパート学生

昨日までパートタイムで学生でした。
 
NZの国立高等専門学校、ポリテクニックのウェリントンキャンパスで法律入門とコンピューター初級のコースを取っていたのですが、初めて2週間目くらいから宿題に追われ、妊婦特有の辛さを忘れるくらい忙しくてなんだか充実した7週間でした。
学校って、やっぱり行くだけではだめなんですね。1日3から4時間の授業で、バス通学往復2時間を足すと半日かかりましたが、臨月の私にとってはこれくらいでやめておいたほうが良かったようです。ちょうどいい時期にコースが終了しました。成績が気になりますが、ひとまず一段落です。同じコースに4児の母がいて、スーパーで働いてから学校に直行していましたが、そういう人が勉強したいと思うことがすごいです。私もいつか、落ち着いて時間をとれるときがきたら、今回苦労したレポート書きの経験を土台にして、また勉強してみたいです。
NZでは14歳未満の子供を1人で留守番させるのは法律違反で、近所の人に通報されてしまったりします。子供が学校から帰ってくる時間に、パートタイムの親が家に帰ってくるか、放課後から夕食の時間まで子守を雇う家庭が多いのですが、そうなるとあと5年は家を半日空けるのは難しいということになります。
自分の生活がずいぶん変わるけれど、長い人生で子供とずっと一緒にいられるのはたった数年。
しっかりとbondを築くための貴重な時間になりそうで楽しみです。
 
と、感じるのは今だけかも。なんたって妊娠中は赤ちゃんは泣かないし、オムツもミルクも世話も24時間全自動なのだから、生まれた後より断然楽なのでしょうね。
 
イギリスの友人が 「妊娠中は最高よ!そのときだけよ、楽なのは」 っていってました。
いろんな意味でそうなのでしょうが、やっぱり早く見たいです。どんな子だろう。マットに似てるといいけど。赤ちゃんにとっていちばんいいときに生まれてくるのだと思うので、病院用のかばんを詰めながら、楽しみに待ちたいと思います。
 
リンクを張ってるりーずるに感化されて久しぶりに書きました。
January 11

この半年にあったこと

ずっと書いていなかった。
その間にあったこと
 
8月に卒業生のひろみちゃんとくみこちゃんが遊びに来てくれた
8月から11月末まで、週に3日パートで働いた。国立の高等専門学校、ポリテックの受け付けと入学手続きの仕事をした。
年末年始は日本へ帰って、マットと雪だるまを作った
妊娠をして、20週目になった。もうすぐ性別の分かるスキャンをとる
 
今年はぼちぼちNZでの妊娠、出産、無理だとはおもうけど育児について書いてみようか。産後はきっとPCなんて開けないだろうなあ。
June 02

右側のお隣さん

先日、右側のお隣さんの玄関先に、かわいい絵があったので、誰が描いたのと訪ねてみました。僕、とかわいい5歳のフレイザーが答えるまでもなく、顔に付いたピンクの絵の具が大胆な筆使いを自慢しているようでした。今はピーターパンに凝っていて、どうやって飛ぼうか、毎日一生懸命アイデアを練っているところだそうです。お父さんによれば、「ちょっとそれは手伝えないな~」ということですが、本人は裏庭でロケットを作るつもりだそうです。そういう飛び方もありましたね。2歳になったばかりの弟のトーマスは、人見知りもしない、とてもかわいいtoddler(よちよち歩きの年頃)です。鉤針編みの靴下をプレゼントしようとしたら、サイズが小さすぎたので作り直しをしました。かかとがやっと引っかかるのを見たお母さんのヘレンは、「うちの子、もしかして大足...」と神妙な顔をしていました。将来は有望なネットボーラーだろうというほど、しっかりした足をしています。背の高いお父さんからそっくりもらったようです。2人ともよくおしゃべりをするのですが、私はほとんどわかりません。こちらのいうことは分かるので、こんどは散歩にでも誘ってみようかと思います。お母さんがいないと泣くかなあ。

招かれて初めて家の中に入ると、ヘレンはとてもうれしそうに「これ、すごいでしょ」とエアコンのスイッチをいれました。NZではエアコンが普及しておらず、最近少し、空調のために取り付ける建物が増えてきました。どちらかというと、古いビルで空気の循環の悪い物や、湿気のたまり易い、wrong side(土地的によくない方の斜面)にある家に設置することが多いそうです。個人の家で見たのは初めてだったので、「日本は最近、これなしだと生きていけないんです」とひとしきり話に花が咲きました。 私の実家では、子どもの頃は網戸で寝れば熱帯夜以外は快適に過ごした記憶がありますが、今では考えられません。空調無しの学校で教えるのは大変だったことなどを話すと、日本のことをとても興味深そうに聞いてくれました。ヘレンは元小学校の先生で、主に5歳児を担当していたのだそうです。16年も勤めたと聞いて、あまり彼女が若く見えるので信じられませんでしたが、5年前に退職して、今は子育てをフルタイムでしています。今年は結婚20周年で、2人の男の子を宝物のように眺める優しいお母さんです。

ちょっと通りかかっただけなのに夕食までごちそうになりました。食後のお茶をのんでいると、「このヒーター、使ってみる?」と居間の隅にあったガスヒーターを貸してくれました。去年点検したから安全よ、といって貸してくれたヒーターは、先週から我が家で大活躍しています。なんといっても暖炉のように30分待たなくても暖かくなるところがすばらしい。これでこの冬を快適に過ごせます。 前の屋根裏部屋も、教室に付いているようなすごい強いヒーターが付いていましたが、暖房に関しては運が良いのかもしれません。

今日はじめて、9キロ入のタンクを満タンにして来たのですが、すごいいい人たちよと薦めてくれたBoc Gasに入れに行くと、本当に親切なガス屋さんでした。作業着よりも青い色の目で太い眉毛の係の人がタンクを車から運んでくれたのですが、ドアに気をつけて、というところなど、とても感じのいい人でした。普通はNZで満タンのガスを買うときは、タンクごと入れ替えて買うのだそうですが、この店は自分のタンクを満タンにしてくれるので安全なのだ、とヘレンが教えてくれました。係の人が、じゃ気をつけて、と素早く店に戻ろうとするので、「あの~、支払いはどこでしたらいいんですか。」と聞くと、おお、そうだったと焦っていました。「お隣さんにサービスがいいって薦められたんですよ、これでタダだったら良すぎて困ります」というと、サンタクロースのようにわらっていました。1回17ドルで、10回スタンプを集めると1回無料にしてくれるカードをもらって、気持ち良く店を出ました。

こんな小さなことが1日を良い日にしてくれます。

 

左側のお隣さん

ちょっと最近、生活のリズムができてきました。少し前までは、何曜日に何をしなければならないということがなかったので、ずっと家にこもって考え込んだり、ただ嵐が過ぎるのを待ってさみしくなったりしていました。でも一般のKiwi(NZ人)はとんでもない風の吹く日も学校や職場に平気な顔で通っているので、そんなに心配するほどのことでもないのでしょう。近所の湾岸道路も、波に洗われることはあっても水没することはないようです。

金曜と火曜の朝、水曜の夕方にバイトが入り、それ以外はデータ入力の内職をしています。隔週木曜日には水彩画のコースに通うようになりました。5回で1タームなのですが、2回目のタームともなるとだんだん親しさが増してきて、近所の人の話がでたり、他の趣味の話をしたりする余裕がでてきました。ちょっと年上の主婦の集まりみたいな感じですが、絵を描くだけでなく、人に会うのがだんだん楽しくなってきました。

この前は、偶然私の隣人の絵が売れたという話がでました。左側に住んでいる彼女は、きれいなオレンジ色のカーリーヘアで、とても明るい親切な人です。夏にはパートナーとよく浜辺でワインをのんだり、家族で海に入ったりしていました。20歳くらいの知的障害者の息子さんとパートナーのお父さんが浅瀬でレスリングの様に投げ合いをしているのを、目を細めて見ていたのが印象的でした。息子さんの日焼けが赤くて痛そうだったので、大丈夫ですかと声をかけると、日焼け止め塗るの忘れちゃったのよ、だいぶよくなったんだけど、と本人の代わりに奥さんが答えました。息子さんは、なんだかうれしそうに拍手をして、日焼けなど気にしていない様子でご機嫌でした。

水彩画の会で初めて知ったのですが、息子さんは彼女のパートナーのお子さんで、自分の子どもではないのだそうです。力が強くなってきて、普通にやりとりができないので、大変な苦労をしながらお世話をしてきたのだそうです。長い間ハウスクリーニングをしていたそうですが、ある日ふと、クリエイティブなことがしたいといって、アクリル画を描いたのだそうです。2点描いて画廊にもっていったら、大変よい値ですぐに売れたのだそうです。彼女の友人でもある私の水彩画のクラスメートは、「美しいものを見る目がある、すばらしい人よ」と言っていました。彼女には、朝採ったばかりという透き通るような白身のお魚を頂いたこともあります。感じのいい奥さんだなとずっと思っていたのですが、今度会ったらぜひ絵の話をしたいと思います。

先週まで、パートナーの方が特別サービスで60ドルで売ってくれた薪が大活躍していましたが、右側のお隣さんがガスヒーターを貸してくださったので、最近は暖炉に火を入れることが少なくなりました。また家族と一緒にくつろげる日に、山ほど拾ってきたまつぼっくりをくべて、ゆっくり過ごすのが楽しみです。

April 27

アルバイト

火曜日はハウスクリーニング、水曜日はチュータリング、天気のいい日は草取り、ほかの日はデータ入力をするようになった。

これに足して、時には画家ってのはどうだろう。喫茶店の娘さんと仲良くなった。繊細で、おちこんでいるときも話をよく聞いてくれるとてもいい人だ。値をつけてうちで売ってみない?と言ってくれた。アクリルは早く乾くから、感覚が新鮮なうちに描きあがるので、売るにはちょうどいいかも。ほんとうに気に入ったらきっと売れないと思うけど、ちいさなひまわりの絵はスーちゃんも「ぱっと目をひくわね~」と誉めてくれた。そういわれると、手放しにくくなる。

あたらしい友人は物書きで、将来本を世に出すのが夢だ。趣味があうので、紹介してくれた友人にとても感謝している。その人は、あたしの友達となかよくしてね、と言い残して、イギリスにいってしまった。帰ってきて3人でカフェで話したら楽しいだろうな。

気が付けば日本はゴールデンウィーク。楽しい行楽で、尼崎のような事故が起こりませんように。運転手の様態はどうなのだろう。

April 21

パートナーについて

4月16日付けのmomoさんのコメントに関連して、パートナーについて見聞きして考えたことを書きます。私見になりますので、「当てはまらないからパートナーシップで申請できない」という判断の材料にはしないでください。なお、ビザ申請に関する書類については、移民局の係員に直接お尋ねください。移民局のホームページは、FQAが充実しています。たいていの質問は読めば答えがわかりますよ。

まず、日本でいう「彼氏」や「お付き合いをしている間柄」というのと、こちらでいうパートナーはかなり感覚が違います。おおざっぱにいえば、パートナーとは一緒に生きていく人のことです。生活を共にしていることが基本なので、NZでは週末に会う程度の間柄では、パートナーとはいいません。 週に1度、お屋敷のハウスクリーニングのアルバイトを始めたのですが、家主のアレンに「奥さんにはまだ会ったことがありません」とうっかり言ってしまいました。アレンには彼のパートナーとの間に1歳になるかわいい赤ちゃんがいて、つい若い夫婦だと思ってしまったのです。「いやあ、まだ結婚してはいないんだよ。奥さんになる訓練中でね、はっはっは~」と笑っていましたが、子どもと一緒に手をつないで歩いている親子は、結婚している家族とは限りません。親同士がパートナーのままで、結婚していない場合は普通ですし、子どもは前の夫の子というのも珍しくありません。

日本では結婚前に同居しないことが伝統的で、リベラルな家庭でしか同棲はあたたかく見守ってもらえないという気がします。根本的に同棲のとらえかたが違いますね。看護婦の友人と、相手の母親が訪ねて来る話をしていて、驚いたことがあります。私の義理の母スーちゃんは、犬の散歩のついでによく訪ねてきますが、土曜の朝9時半にノックしてこちらがドアを開ける前に入ってきたりします。最初は慣れなくて、友人に「髪もぼさぼさだし、部屋も物がちらかってるから、ちょっとはずかしい」と話すと、「朝突然パートナーのお母さんが来たとき、シャワーから飛び出てタオル姿で出迎えたわ」と笑っていました。おおらかです。そんなことを嫌がらないし、そのお母さんだって、あらごめんねのひと言で済みます。日本風に訳すのは変ですが、ちょっと考えてみても、同棲してる自分の息子の相手が、タオル巻いたままでいらっしゃ~いとでてきたらどうなるか...それもありえないことですね。

パートナーシップのビザ申請は、結婚していようがいまいが関係をよく確認されます。ちなみに私の場合は岐阜県での入籍が2004年4月でした。これで結婚して1年になるわけですが、今回永住権申請のケースマネージャーが決まった時点で、最低12月は一緒に生活していると確認できるよう証拠を提出しなさいと指示がありました。ビザのために結婚する人がいるかもしれないと考えると、念には念をいれて確認するのは当たり前だと思いまが、結婚するまで同居をしない風潮のある日本では2人の関係の証明がしにくいですね。基本的には、日付入りの書面で、2人のことを誰も知らない人が見て納得するようなものが有効な証明になると思います。

移民局に指示されたパートナーの証拠になるものを以下に記します。(下線部は今回提出したものです。)

a. Evidence that the principal applicant and partner are living together may include but is not limited to original or certified copies of documents showing shared accommodation such as: 1) joint ownership of residential property  2) joint tenancy agreement or rent book or rental receipts  3) correspondence (including postmarked envelopes) addressed to both principal applicant and partner at the same address  b. If a couple has been living separately for any period during their partnership, they should provide evidence of the length of the periods of separation, the reasons for them, and how their relationship was maintained during the periods of separation, such as letters, itemised telephone accounts or e-mail messages.  c. Evidence about whether the partnership is genuine and stable may include but is not limited to, original or certified copies of documents and any other infromation such as;  1) a marriage certificate for the parties  2) birth certificates of any children of the parties  3) evidence of communication between the parties 4) photographs of the parties together  5) documents indication public recognition of the partnership   6) evidence of the parties being committed to each other both emotionally and exclusively such as evidence of  joint decision making and plans together / the existence of an exclusive sexual relationship between the parties / sharing of parental obligations / sharing of household activities / sharing of companionship or spare time / sharing of leisure and social activities / presentation by the parties to outsiders as a couple.   7) evidence of being financially interdependent such as evidence of shared income / joint band accounts reasonably frequently over a reasonable time / joint assets / joint liabilities such as loans or credit to purchase real estate, cars, major home appliances / mutually agreed financial arrangements. 
 
これ以外にも、面接で第3者や本人たちに面接をして確認作業がされることがあります。
momoさんの質問にあったデートのレシートなどは、例えば、英語圏に旅行に行った際に連名で領収書を切ってもらうと、英訳する手間も省けて良いと思いますが、日本で行ったレストランなどのものは、それだけでは証明にはなりにくい気がします。それ以外の、連名の賃貸契約書など、公的なものを補佐する形の証拠品にはなると思います。スキューバダイビングやパラグライダーなど、保険の同意書があれば、余暇を共に楽しんだという証明になるでしょう。一番良いのは連名の賃貸契約書です。連名の銀行口座はたとえ証明のために作っても、口座が使われている頻度を見られるので無駄かもしれません。
 
提出書類でまず最初に日本で用意したのは、①戸籍謄本の写し(birth certificateはこれで足ります)②犯罪経歴証明書 ③移民局指定の健康診断書 の3つと、同業者だった友人2人に、証明になる手紙を書いてもらいました。②の犯罪経歴証明書は、移民申請書に記入をして持参しないと、申込書さえ受け付けてもらえませんでした。なぜ犯罪経歴証明が必要なのかを公的な書類で証明する必要があります。警本部の係員の話では、移民局から要請があり、本人の申請を受けて作成するという手順をふむことになっていて、個人が勝手に申し込むことはできないのだそうです。とにかく、必要書類をよくそろえて申し込みに行くことが肝心です。 ③は、3ヶ月以内に提出しないと無効にならなので、タイミングが難しいですが、医師との面会は移民局から後日連絡されたらどうするか等の相談も含めて2.3回必要でした。 添付する証明写真は、写真の表、顔にかからないところに、サインと日付をかならず医師に記入してもらってください。サインだけがなくて、写真を日本まで往復させたので、3週間もぼーっと待っていたばかな私。ドクターは、きっと苦笑いしながらサインして返送してくださったんだろうなあ。
 
周りにも、NZ人のパートナーと生活しながら、永住権を取得したひとがかなりいます。近年得た人は、みんな「大変ね~、私の場合は...」と親身になって相談に乗ってくれます。
ドイツ人の新婚さんや、4ヶ月の赤ちゃんがいる英国人パートナーなど、みんな書類をかき集めてくぐってきた人たちばかりです。生活を共にしている証拠の話で、結婚していない人はどうやって証明するかでもりあがったことがあります。赤ちゃんをカウンターに乗せて、「この耳は私のでっていうのはどう?」と笑っていたひとがいました。実際、ちっちゃな耳はパパのにそっくりで、かわいくてしょうがなかったです。かなり有力な証拠になるかも。
でも、その子自体、ビザの発給を受けないと一緒にNZに住めないので、家族で引越した人は大変でしょうね。健康診断書も全員必要ですし、特に結核にかかったことがあるか、婦人科系、肝炎などの伝染病はないかレントゲンでよく調べられます。もし過去にかかっていて完治していたら、今の状態をよく確認されるとは思います。それで家族が引き裂かれるとは思えませんが、各ケースによるでしょう。
 
永住権というのは、住んでもいい権利というだけではなく、選挙権まで与えられ、年金にも関わってきます。学生以外で1年半以内試しに生活したいのなら、こんなに苦労してまで永住権を取らなくてもよいでしょう。短期の旅行者なら、3ヶ月ごとに外国へ出れば、9ヶ月まで住むことができますが、そのあと連続しては更新できないのでまた9ヶ月待って、最初のNZ入国日から18ヶ月たったら、また3ヶ月短期の旅行者として入国できます。エッセイその9でも書きましたが、家族と住むためという理由であれば融通がきくので、永住権を待っている間の労働ビザなど、わりとすんなり発行してもらえます。係員も「申し込みが多くて、処理がたまってるんです。ごめんなさいね。」といった対応でした。その待ち時間数ヶ月間は、精神的にも経済的にも辛いので、はやく順番がまわってくると良いのですが、段ボールで保管してある書類は相当な数でした。
 
私の永住権は10月にはおりるかもしれません。
 
March 31

ずっと大雨大風

サザリーがやってきてもう3日になる。

天気予報でも今回は大当たりでウェリントンのこの辺がスポット的に大雨警報だった。

あれは予報じゃなくて、いますごくどしゃ降りってことだったのか。

危なくて外に出られなかったので、スーパーにもいけなかtった。

野菜は玉ねぎ1個半しか残っていない。

5日間も人にあってない。

やだなあ。

 

March 24

今日も一言だけ

NZで初めての仕事が終わった。

いろいろと気を使う仕事だったけど、いい人とたくさん出会った。その場だけのバスの運転手にしても、とてもいい考えの持ち主などがいた。いろいろな人がいるなあ。

今回一番頑張ったのは、とにかく安全に職場にたどり着くことだった。運転は、おかげで慣れた気がする。裏道とはいえ、50キロ制限と80キロの道が続く、往復56キロの通勤だった。これがなければ免許も取れていなかったかもしれない。得るものの多い仕事だった。一生懸命助けてくれる人たちにあって、仕事はすればいいってもんじゃないと感じた。どのようにこなすかということが大事だし、同じ土俵で仕事するひととどう付き合うかが結構仕事のできを左右すると思った。 電話での印象が最悪でも、実際あってみたらとてもいい人だったりして驚いた。第一印象は、日本では逆のことがよくあった気がする。

今度はもう少し長い仕事をして、またいい人たちと知り合いたい。

今回の収入は4月分の家賃になった。なんだか充実した。

 

March 14

今日は一言だけ

仕事を始めました。2週間限定の現地ガイドの仕事です。千葉県から修学旅行に来た中学3年生29人のお世話をします。今日が初日で、間に合うようにと先週NZの運転免許もとりました。私にとっては簡単じゃなかったので、また後日ゆっくり書きたいな。今日はもう休みます。

February 28

Red Bullトロリーレース

しばらくタウランガのおじいちゃん家とオークランドのイベント参加のために留守をしていました。イベントは2月13日に開かれたレッドブル(赤牛)という元気が出るドリンクの会社が主催した、手作りトロリーレースです。マットの親友が親子でエンジン無し、下り坂限定のトロリーをつくったので、運転手に抜擢されていつのまにか巻き込まれていました。

父親が建築家、息子は工業デザイナーだけど、2人合わせるとダブルでクレイジーな親子が、2週間夢中になってトロリーを作りました。デザインは棺桶。骨組みはベニヤ、面は段ボールで軽量化した棺桶は、銀の持上げ用のハンドルが外側に付いていてとても重厚に見えました。ハンドルをどこで手に入れたのか聞くと、完成間近になって親戚に葬儀屋がいることに気がつき、「今度パブで1杯おごる」ことと引き換えに6個もらって来た、ということでした。デザイン画はすばらしいんだけど、行きばたりあったりの2人は、レースの前日までブレーキとハンドルに取りかかりませんでした。材料は三輪車のハンドルや何に使われていたか不明の鉄パイプ、作業場に転がっている無数のナットと机だったかもしれない木材など、手作りトロリーにふさわしい物でした。ヘルメットもミイラ状態に飾り付けれられ、吐く息で前が見えないのも改良されました。

マットは15歳までゴーカートを運転していたので、なんだかとても嬉しそうに手伝っていましが、途中でブレーキとハンドルのマシンの部分が全然現れないので、だんだん無口になっていきました。コースには、ゴールと側面全部にわらのブロックが敷き詰められています。去年のビデオを見ると、見事に1回転してクラッシュするトロリーや、半壊でドライバーが引きずってゴールするものが結構あって、最後のカーブは特にきつそうでした。作業の進行を見ていると、どうも試運転なしに出場することになりそうでした。

2月11日金曜日、ブレーキはレース前日の安全チェックに間に合わせることにして、オークランドまで移動しました。作業場はデザイナー親子の自宅だったのですが、それが崖の上で、急な階段を下りるしかありませんでした。つぎはぎの建築で有名なその家は、いつかウェリントン市から「危ないから安全柵をつけて補強するように」と通知が出た階段で、高所恐怖症の人がディナーに呼ばれた帰りに動けなくなって大騒ぎをしたこともある、恐ろしい階段です。本体が軽いせいで、パーツに分けて運ぶのは予想よりはるかに順調に下ろせました。棺桶がきしむ階段を下りてくる様は笑える反面、ほぼ徹夜で完成させたことを考えると、感動的でした。少なくともハンドルは付いていたし、オークランドでブレーキをつければ何とか走るはず...そうしてクレイジーな親子と物好きなスタッフ3人とその妻2人は、黄色い小型バスとうちの車に分かれてオークランドに向けて出発しました。片道7時間、なんとか無事に夜までに到着しました。参加チームのほとんどは地元や北島の北部からで、ウェリントンからの参加は2チームだけでした。相当のあほでないとここまではしません。

レース前日、気持ちよく晴れた朝、オークランド博物館前でブレーキが取り付けられました。息子のクレイジーデイブの提案で、制作チーフのデリックに最後の調整を任せて、残りのスタッフは1分間劇の練習をすることにしました。植物園の隣で葬儀のBGMをかけて練習をしていると、アジア人観光客が振り返りながら通り過ぎていきました。役柄と動きがつかめたのでこれはいい調子と思っていると、デリックから知らせがありました。

「ブレーキ切っちゃった」

海賊船のキャプテンのようなデリック、頑固なチーフだけに誰も怒る事はなく、さあてどうするか、その場で討議に入りました。安全チェックまであと10分。チェックの試験官に頼み込んでなんとか時間をもらい、マットとデリックの妻が自転車屋に走ることに決定しました。こんな緊急事態だというのに、スタッフはみな前向きで物事はスムーズに進み、試験官も大変同情してくれてなんとか時間をもらえました。田舎と違って土曜日にも店が開いていてよかった!マット達がブレーキを大目に買ってくると、今まで見たこともない早業でデリックが取り付けをしました。試運転はとっくにあきらめられていましたが、勢いにのってすることにしました。丘の上の大きな博物館をバックに滑るように下りてくる棺桶をみたときは、スタッフ一同きゃっきゃと飛び上がって喜びました。いざ、出場とばかりに、スポンサーについてくれたHell Pizza地獄のピザ屋のサービス券で買ったピザをおお腹いっぱい食べて、その日は終わりました。

スタッフには、私の親友のローレンとその弟の美形のマイクが加わりました。2人はオークランドのバックパッカーに泊まったのですが、階下のバーの音がうるさいので寝るのはあきらめて、朝5時まで飲んでいたと言っていました。素面ではとてもやっていられない気持ちはよくわかります。炎天下でも2人は脱水症になりませんでした。

レース当日、去年は5万人集まったという公園には巨大スクリーンが準備され、赤牛ドリンクが関係者に振る舞われました。出場トロリーのピットにはバリケードがはられ、私は中に入れなかったのでスタッフにひとこと成功を祈った後、スタートラインの真横に陣取りました。出場チームは80。2台ずつ走るので、40レースありました。午前中2時間、午後4時間行われたレースは威勢の良い司会も手伝って1日中見ていて飽きないレースでした。「ハンニバルズ」というチームがきれいにセッティングしたテーブルに運転手の頭だけ皿の上に出ているトロリーを走らせ、大きくクラッシュして観客を沸かせたり、牛がハエ付きの牛のふんを追いかけたり、組み合わせも楽しいレースでした。ネズミを追いかけていたチーズは、三角形の尖った方が前を向かなくなり、前後逆のまま滑走していました。巨大スリッパやヘルメット、細部も見事な海賊船、すべてミラーボール型のトロリーは人目をひいていました。

昨年度の優勝はウェリントンの隣町のチームで、ものすごく速いバスタブでしたが、寸隙がミュージカル仕立てだったのと、シャワーからちゃんと水が出ていたのが勝因でした。

われらが葬儀チームは第11レースでした。せっかく考えた寸劇は、喪主役のデリックが緊張して固まったので半分しかマイクに入りませんでしたが、お葬式の雰囲気は十分に出ていました。生前悪事が絶えなかったマットが、棺桶の中で蘇り、猛然と走り去るという設定でしたが、地獄のピザのロゴはこれ以上ないほどにぴったりでした。このために2500ドル(約20万円)も出資してくれたピザ屋。なんて暖かい人たちなのでしょう。

スタートラインでは、ミイラ姿のマットが親指をたてて気づいてくれました。段ボールってクラッシュしても大丈夫なんだろうか。その場になるとどうしようもない心配がわいてくるものです。相手チームはずいぶん小さな救急車で、赤いスパンコールのナースが3人、軽やかに踊って登場しました。力自慢の両チームスタッフが押しだすと、2台が滑降していきました。棺桶は出遅れましたが、予想よりはるかに安定した走りでゴールしました。大破もクラッシュもしないで無事にゴールしたときには、マフラー代わりの赤い悪魔のしっぽが2メートルはためいていました。救急車は目覚しい走りをみせ、あっという間にカーブをものにしてゴールしました。発泡スチロールで作ったのか、軽やかな走りで、瞬きしている間に飛んでいくようでした。

80レースが終わり、寸劇、デザイン、走行タイムで審査がされました。残念ながら入賞はなりませんでしたが、クラッシュもしなかったのに、7時のOne Newsで一瞬映りました。とてもお金をかけてプロが作った小型のフェラーリとポルシェが上位を独占したので、後味があまり良くないイベントでしたが、テレビに出ただけでこんなにもうれしくなるとは思いませんでした。

レースの後、私たちは「プールでゆっくりしたい」と心底思いながら、タウランガのおじいちゃん夫婦に会いに行きました。水着にこだわるおじいちゃんと自宅のプールで泳ぎいた後、おばあちゃんの手料理をほおばりながら土産話をたくさんして、ゆっくり疲れをとりました。

February 27

また海のもの

ある日のこと、夜遅くマットがスーちゃんと町から帰ってくるときのこと。スーチャンがボンネットの上に何かを見つけた。マットはもうエンジンをかけていたので、は?と思いながら外に出た。

そして見つけたものは、ヒトデ。それも、車のハンドルくらいの巨大なヒトデが、ボンネットに座っている。よく見ると、フロントグラスに透明のボンドのような液体が!どうも滑ったらしい。上に乗せられたのがずるっと滑ってボンネットに移動したらしい。

こすってもすぐにはとれないヒトデの跡にため息をつきながら本体をどかそうとした。でもすっかり引っ付いてしまって動かなかった。しばらくいろんな方向からやってみた末、スーちゃんが両手でめりっとはがした。そのままフリスビーのように放り投げられ、海に帰っていったヒトデ。

首都のど真ん中でも海沿いに車をとめると、こんなことがある。

 

February 09

魚の日

今日は魚についていた。夕暮れ時の9時、食後の散歩にいくと、塩溜まりに小さな魚がたくさん隠れていて、目に見えないくらいの速さで泳いでいた。マットがとなりの塩溜まりに逃げた小魚をみて、「すごい、飛んだ! すごいね、となりに水があるって知らないのに。もしなかったら砂利の上に着地しただろうね。」としきりに感動していた。

のどかなひとだ。

気分がよかったので、ウォッカとラズベリーのフローズンカクテルを作って飲んだ。きれいな色の食べ物や飲み物が大好きな夫はこれも喜んで飲んでくれた。この間、青いチョコレートばかりたくさんいっきに食べて、口いっぱい青くして見せびらかしていたことがあった。

無邪気な人だ。

スーちゃんが夜遅く、みんなで飲んでるからいらっしゃいと呼んでくれた。一緒に飲むのは久しぶりだったので、3年前のクリスマスにいただいたドレスを着ていったらとても喜んでくれた。「ほんとーによく似合うでしょ、きれいでしょ、ドレスが」と、ワインもてつだってこれ以上できないくらい自慢してた。

楽しいお母さんだ。

冷えたシャルドネを飲みながら、目の前に合った白身魚のソテーが食べたくなったのでつまみ食いをした。塩をふりかけたら、見たこともない小粒のフラックペッパーがでてきた。で、もっとかけようと瓶を振ったとき、やっと気がついた。

金魚のえさだった。

そんなもん、テーブルにおくなよ。(melsenyuさん、この言い方、気に入ったので勝手につかわせてもらいました。)

隣で弟のジェイがお皿に顔を突っ込みそうになりながら笑っていた。

魚、一口しか食べてなかったのに、酔ったスーちゃんがフォークを速攻でかたづけた。食べちゃ駄目ってことか。ちょっと金魚のえさが触っただけだったのに...でも、昆虫とか毛虫とかの粉末だったら、やっぱり食べなくてよかった。でもやっぱり...

February 06

霧が晴れた

4日間もウェリントンに居座ってた霧が晴れた。飛行機が飛ばなくて大変だったそうだ。ここ何日か、風もなく、波もとても静かな日が続いていて、マットによればこれは「熱波」だそうだ。日本の夏よりさっぱりしていてすごし易いけど、日焼けには注意。

Wellington 7thで仮装したままバスを待つ人をたくさん見かけた。夜は中国のお正月のお祝いで北京から持ってきた花火が空を飾った。さすが姉妹都市。気前がよい。

夜は浜でマイクとブランドンが釣ってきたカウアイとタイのフライと、なにか名前のわからない魚を食べた。4時間近く寝そべってくっきりした天の川を眺めたり、だべったりした。

この前お隣さんにもらったerephant fishは、どんな魚だろう。背中に象の鼻みたいのがついてると聞いたけど、ちょっと調べるのがこわい...でもフライにしたらおいしかった。サメはココナツを効かせたカレーにしたらうまかった。イギリスのおばあちゃんに誉められた。

マットが編集のコースに合格した。今まで補欠合格で、「3週間ほどしたら通知します」といわれてもう7週間過ぎていたのでほとんどあきらめていたところに、急に電話で「書面で通知しますけど、受かりました」と連絡があった。2月末から学生だ。私も一生懸命dできるものを始めないと、早く老けてしまう。8歳年下の彼のためにも、いきいきと明るく生きていかないといかんぞ。貧乏で暗かったら最悪だ。

February 04

鳥の巣発見

物干しの上のジャスミンの木から、小さな鳥の声が聞こえた。

よく見ると、鳥の巣があって、母鳥がせっせとえさを運んでた。

庭の芝生が枯れてきたので、まっとも母鳥と同じ熱心さで一生懸命水撒きをしている。

ミミズが出てくるのか、鳥がとても嬉しそうに芝生にやってくるようになった。うちは猫もいないし、鳥にとっはちょうどいい。シャワーも浴びられるし。

マットが編集のコースに受入られた。補欠合格で、だめか~とおもっていたら、学期の開始直前にキャンセルした人がいたらしい。とにかく、1年間、学生生活の始まりだ。めでたい!

 

February 03

大漁

ご近所のマークとブランドンがたいを3匹も釣った。何日か前は、ヒトデがひとつ網にかかっただけだったのに、今日は大漁だ。土曜日にみんなで食べるのが楽しみだ。

水彩画のクラスに通いはじめた。人に会うのは良いことだ。なんかかたいなーと思った人はイギリス人だった。友達できるかな。みんな年上の主婦だけど。

昨日履歴書を送った地元の高校から電話がかかってきた。今は人手が足りてるんですけど、よく覚えておきます、という返事だった。電話をかけてくれるだけでも親切だ。段階を踏んだ日本語の教え方を知らないまま、思うままに教えたら生徒の方が迷惑だろう。日本語教授を一生懸命学んだ人がつくべき職だと思うし。人に慣れるためにもアシスタントをするのもいいかもしれない。

February 01

音楽

マレーシア料理店へ友人と出かけた。食べたことがないものを頼んでみようと意気込んでいったのに、ラクサにしてしまった。今度こそ違うのにしよう。女神の様な名のアロイーズは、顔をくしゃくしゃにしてよく笑い、高い声がレストランによく響いていた。いい友人は食事をよりおいしくする。

帰りにいつもの湾岸くねくね道路を通ってきた。久しぶりの雨雲が、明るい緑色の船の明かりを反射していた。アクリル絵の具をこぼしたみたいだ。

しかし、NZの音楽というのはやっぱりNZのドライブによくあうものだなあ。

みたりきいたり

毎日いろいろな驚きやとんでもないものをみたりきいたりするので、短い日記をつけることにします。たいていは前日の日記をつけることになると思いますが、1日くらいの時差はまあ、気にしないことにしましょう。キウィ流です。

エッセイでは推敲したりいろいろ考えて書きますが、日記は思い付くまま、ぼちぼちつけていきたいと思います。

映画「オペラ座の怪人」を親友のローレンと観に行った。怪人がロックシンガーみたいだったけど、それもまたよかった。

帰りがけ、ガソリンスタンドのよこで車を停められた。最初は飲酒検査かと思ったけど、もっと時間のかかることだった。家を1件、そのままトラックに乗せて移動してた。最初からそのつもりで土台ができてるのか。中で家族がテレビ見てたり、お母さんがスープよそってたら面白いのになあ。

庭のルバーブの側に針ねずみがいた。話には聞いていたけど、確かに「んごっ、んごっ」という音がおおきかった。前に道の真ん中で見つけたときはマットに「固まっちゃうからそっとしときなよー。」といわれて、爪先で触りたいのを我慢した。ボールになってしらないうちに車にひかれたらかわいそうだ。こんど庭でみつけたらぜひボール遊びをしたい。

マットは最近すばらしく家事がうまくなってきた。ルバーブのジャムもアイスクリームにもってこいの味だ。しかし、いつのまにあんなに上手に洗濯物を畳むようになったんだ?

 

 

 

その10 ふたつの結婚式

日本では2004年に4月2日に入籍をしました。マットのリクエストにお応えして彼の誕生日に入籍したのですが、ちょうど3年前に担任を持たせてもらった卒業生が市役所で研修を受けていて、彼女の手を通して書類が渡りました。思わぬところでとても緊張しました。その前の日だったら、彼女がその場にいなかったかもしれないし、エイプリルフールということで冗談で済んでいたかもしれない...。

結婚式は5月1日に私の母が30年ほど通っていて、父の葬儀もしていただいた教会で挙げていただきました。 その後、私のピアノの先生が弾き語りをしているライブハウス(岐阜県多治見市のかふぇ ら ぱれっと)でパーティーを開きました。マットと私の生徒さんもたくさん来てくれて、にぎやかな音楽いっぱいの会になりました。携帯電話の写真がさぞたくさん土岐と瑞浪の高校生の間に飛び交っていたようです。

マットの両親は2人とも5人兄弟姉妹がいるので、いとこの数も半端じゃありません。 タウランガにいるおじいちゃんには孫が13人います。親戚にも紹介したいし、親しい友人にも集まってほしい、ということで、こちらでもre-confarmationとして昨年12月18日に式をしました。今回はディナーパーティーがメインの式を企画しましたが、何度やっても式は式。思いで深い日になりました。 re-confarmationというのは、再確認式とでもいったらいいでしょうか。ここでやっぱりやめたというわけにはいきませんが、外国で式を挙げた後、地元でもお披露目をする夫婦もいて、親族や友人の前で最初の結婚式の確認をする、というわけです。marriage cereblantのナエリさん(マオリ語の名)に助けていただきながら、3ヶ月ほど準備をしました。実のところ、式当日私はほとんどその場にいるだけのつもりでした。着物の準備も大変だし、日本に帰らないといけないし、一緒につれてくる家族を案内したいし、と、雑事のことばかり考えていましたが、結局思い切って英語で宣言することにしました。

日本の式では、媒酌人や知人、花婿がスピーチをすることが多いですが、私たちの場合は、ふたりともメッセージを相手に読む形にしました。ナエリさんとの最初の打ち合わせで、「せっかくお客さんが来てくださるのだから、2人がこの結婚をどう思っているのか、はっきり言葉にした方がみんな来た甲斐があると感じるでしょうし、式らしくなりますよ」といわれました。言い換えれば、お客さんは祝うと同時に、2人がどういうつもりで結婚するのか見届けるために集まってくれるというのです。どういうつもりで結婚するのか...はたと考えさせられました。お客さんの前だとかは関係なく、自分の言葉で言うということに、身が引き締まる思いがしました。英語で伝える緊張もすこしありましたが、照れ屋なので、日本語だったら到底できなかったかもしれません。どれくらい照れ屋かというと、バレンタインに婚約記念の写真を撮ってもらったのですが、「見つめあってくださーい」と言われた途端に相手の顔が見られなくなり、結局鼻の穴が開きぎみの顔になってしまいました。NZの式にはこの時に来た空色の着物と礼服を着ました。

何をいえばよいかということは自由なだけに難しく思われましたが、思いのほか川の流れのように出てきました。11月に3週間ほど家族をつれに岐阜に帰っていたのですが、その行きの飛行機で離陸のときに浮かんできた言葉をまとめて誓いの言葉にしました。最後のまとめをNZに帰ってきてからしたのですが、ペンを持って集中しようとする度に、叔母が猛然と掃除機をかけはじめたりして、仕上げるのはなかなか大変でした。式次第を訳すまでは手が回らなかったのですが、出来上がったものは母と叔母に日本語で渡し、式では持っていてもらいました。お互いのためには、日本でいただいた水引きの封筒を再利用して、手書きした誓いの言葉をいれ、指輪交換の代わりにしました。あんな美しい和紙の封筒は日本独特のものです。大事にもってきてよかったと思いました。

披露宴は、マットの親戚のRuth Prettyルース プリティーという料理家のおばさんの家を半年前に予約しました。知人に聞いた話では、とても人気のある結婚式場らしく、2年前に予約してやっととれた人もいるそうです。マットにとっては、子供時代からよく遊びに行っていた田舎の農家で、家のまわりの薮でスターウォーズごっこをいとこと駆け回りながらしていたなじみの家です。特別な場所なのでそこに決めました。

NZの一般的な伝統的な結婚式は、カソリックや英国国教会など教会で式を挙げた後、移動して花嫁の家の庭でガーデンパーティーのようなお披露目会をすることが多かったようですが、いまでは何でもありです。知人は植物園で式を挙げましたが、お母さんは会場が85ドルだったのよ、と喜んでいました。ちなみにフルコースのディナーだと1人100~120ドルします。40人までの会では室内でできますが、それ以上だと屋外のパーティーになる場合が多いです。ちなみに、伝統的にはディナーの食事代は花嫁側が支払い、ワイン代は花婿側が払うのだそうです。

ゲストの人選がこれまた大変でした。こちらではカップルで招待するのが普通なので、いとこをよんだらその彼女も招待します。友人のカップルを招待したら直前に別れてしまって席が空いたり、親の親友を招待するために友人を削らなければならなかったり、マットは大変苦労していました。NZは離婚再婚の多い国なので、席の並びにも気を遣いました。いとこのお母さんは、自分の前夫の家に招待される立場だったのですが、ただ私たちのために飛行機で駆けつけてくれ、祝ってくれました。

スーちゃんはずしりと重いウェディングケーキを半年前に焼いてくれました。仕上げは私と相談しながら、カフェに頼んでアイシングという砂糖のコーティングを頼んでくれました。こちらではクリスマスのフルーツケーキなど、何ヶ月も前に焼いておいて寝かしておきます。砂糖と洋酒がたくさん使ってあるせいか、とても長く保存できます。保存タイプのケーキには生クリームを飾ることはなく、アイシングできっちり固めます。ウェディングケーキはクリスチャンの家庭では子どもの洗礼時までとっておいて、同じケーキでお祝いするのだそうです。2年くらいはもつということですね。式間近なってスーちゃんが、「真ん中まで火が通ってないかもしれない!」と急に焦っていました。確かにすこし半生だったような...でも、2年後にはいい具合に熟成されているでしょう。味は抜群でした。

結婚式当日は、ウェリントンでは記録的な寒さの6度でした。雨も強く降ったりやんだりしていたので、気持ちまでしぼんでしまいました。何ヶ月も前からマットが写真家を予約して楽しみにしていたのに、と思っても、お天気だけは仕方ありません。みんながずぶぬれにならないようにと願いながら、義理の母のスーちゃんに髪を結ってもらいました。娘さんの髪をよくアップにしていたそうで、とても上手に、奇抜な方法で崩れないようにまとめてくれました。以前練習したときには、とても鋭く光る、太い皮革用の針を出してきて、「これで縫うのよ~」と脅されました。すぐ綿花で先をくるんでくれましたが...恐かった。セットでは確かに頭を縫われました。髪をカーラーで巻いてから返し縫いするように毛糸で束ねて、最後にぎゅう~っと縛ると、あら不思議。まったく崩れない、アップスタイルができたではありませんか。なんとも和服に合った髪型で、あとでドレスに着替えたときには髪を散らして柔らかそうに変えてくれました。スーちゃんすごい!

メイクは親友のローレンにしてもらいました。これまた事前に練習をしたのですが、筆でアイラインを入れてくれたらリュー シー リュー(チャーリーズ エンジェル)みたいな、アメリカのコミックに出てくるアジア人の目になっていました。さすがショーモデルのメイクの経験があるだけあって、すごい迫力に感心しましたが、マットが怖がったので、控えめにしてもらいました。

当日、着付けの間のことは、焦ったことしか覚えていません。写真家には、着物を開けるところから撮ってもらいましたが、しょぼくれたような、怒っているような顔になってしまいました。なーんと、着物の色に合わせてかった、スーツケース半分を割いてわざわざ持ってきた草履とバッグを寝室に忘れてきたのです。マットのお姉さんのリサが、「忘れ物ない?ほんとに大丈夫?」と行ってくれたのに。あれほどマットにも言われていたのに忘れてきました。式とは、そんなものですね。当日来るとき履いてきたのが銀色のスリッパだったので、「水をはじくのでちょうどいいです」とかいいながら気分転換をして、それを履いて式に出ました。かわいそうに、着付けをしてくれた叔母は頭が真っ白...と言って倒れそうになりながら帯を締めてくれました。お太鼓さんにしようと思っていたのですが、叔母のおねえさんが扇の様に畳んで固定してくださったので、それを日本から持ってきて、叔母が結んでくれました。

式ではおたがいのメッセージも出席者に聞こえたそうです。雨がぱらついたので、廊下に屋根がついているテラスに直前にずらしてありました。音が屋根に当たって、ちょうど良い音響になったようです。あとでビデオを見たら、サザエさんが遠くで叫んでいるような今にもそっくり返りそうな声でした。リサは、ちゃんとはっきり聞こえたよといってくれたけど、もうちょっとエレガントにできなかったものか...。

式の後の記念撮影はなんとか屋外でできました。雨上がりで緑色がとてもきれいな写真になってよかったです。曇りのほうが色がよいというのは本当ですね。弟のジェイがスクエアトゥの靴とダイヤ柄の靴下をやたら見せたがって、ズボンをたくし上げていました。幼い頃からやんちゃ坊主(ただいま24歳)の彼が緊張したところは想像もできませんでしたが、一日中上ずった声で笑いが止まらなかったそうです。

ドレスに着替えて、ディナーパーティーになりました。ディナーでもスピーチをしましたが、そこでは少しリラックスして何とかスピーチも終えました。カンペにないことがたくさん浮かんできて、「アジア人ってNZで句運転免許最初から取り直さないと行けないんですよ」と文句なども取り混ぜました。友人が、「そうだそうだ!」と掛け声をかけてくれたけれど、それが「アーメン」だったので、後日失礼ではなかったかと心配して電話をかけてきました。ジェイのスピーチは、筋肉マンのポーズ3連発にはじまり、ジョークも最高におかしくて、ゲストが何人も椅子からずり落ちるほどうけていました。ジェイのほかにも愉快なスピーチが続き、笑い声のたえない、にぎやかなパーティーになりました。

NZの結婚式では、会費制やお祝い金を包む習慣はなく、ゲストは贈り物を持参します。最近では、新郎新婦の気に入ったお店の商品をいくつか選んでリストにして、招待状を一緒に送り、招待された側は自分のプレゼントしたい値段に合わせて品物を選ぶという、カタログの様なものがあります。送る側は新居に必要なものを厳選して選びますが、時にはトースターが5個揃ってしまうこともあるようです。私たちはおしゃれなワイングラスをたくさん頂きました。いちばん感激したのは、母方のおばあちゃんに頂いた手織りの毛布と炊飯器です。炊飯器は「ご飯は鍋で炊けばいいや」と思って買わずにいたので、使ってみてじわっとありがたく思いました。贈り物の中にはカップルで1つの写真立てとか、1人用のトレイなどもあり、これは日本では失礼と取られるかもしれませんね。結婚式は一言で言えばふるまいなので、御祝儀なしにできる範囲の式にをして、ゲストも負担にならない程度のものを贈るというのがNZ式といえるでしょう。興味のある方のために書きますが、贈り物の値段は平均3000円ほどです。

最後にお礼状について書きます。書き始めたのは1月の夏休みぼけがさめた頃で、今ちょうど投函し終えました。ひと月以上たってからお礼をしたわけです。手書きの手紙を添えて写真を1枚ずつ贈りました。こんなことにもNZの生活のくつろいだペースを感じます。

January 22

その9 就労ビザと労働許可を取りました

だまって働いたらどうなるか、やったことがないので経験としては書けませんが、違法行為なので、最悪の場合再入国できないことが考えられます。飛行機に乗ってきたけどオークランドで入れてもらえないとか。NZ出入国の書類には、犯罪を犯したことがあるか記載する欄もあります。ちょっと前までは学生バイトもできなかった国なので、近所のカフェの主人に「巻き寿司作って仕入れてくれないかしら」と持ち掛けられてもその気になれませんでした。これでハウスクリーニングでも子守りでもできます。でも、お寿司がまだ上手に巻けない....

1月10日、まだお正月気分の抜けない首都ウェリントンで2年間有効の就労ビザと労働許可を取りました。今まではバイトをしたくても違法なので、申請中の永住権が下りなくなるかもしれないとびくびくして働けませんでしたが、これで大丈夫になりました。6週間はNZを離れていましたが引っ越した7月から数えるということで、実際は今から18ヶ月間NZにいてもよい、という許可です。そのあいだに永住権が取れると良いのですが。

もし取れなかったらどうなっていたかというと、3ヶ月以上連続して旅行者としてNZに滞在することはできないので永住権が下りるまで、NZの外で待たないといけませんでした。それは結婚していても、いくらNZ側の処理が遅くても関係ありません。3ヶ月×3の9ヶ月になったら、あと1年半はNZの外で待たなければならないのです。それはHPにもしっかり書いてありました。つまり短期の旅行者の身分では、こちらにいる日数を足し算すると、1年半の間で9ヶ月間しか滞在が許されないということです。3月半ばに切れるところだったので、焦りました~。

さて、ビザ取得に当たって、思いもよらなかったことを書くことにします。一般の申請の仕方や申し込み書はNZ移民局のホームページに載っていますので、注意した方がいいと思うこと以外は略します。

永住権申し込みには700ドル、労働許可には90ドル、就労ビザは日本人だから、130ドルかかるところがタダでした。日本に住んでいたときにマットが20回位メールで役所に問い合わせをしてくれましたが、手数料については「日本のパスポートを持っている人はビザは無料」と言われました。無料だと聞いていたので700ドル(約5万円)は痛かったです。移民局のHPで日本人が申請するのにかかる手数料のページを開いたら、どのビザも無料と出てきます。永住権はResidence Visaなのに入っていないのか?ビザと永住権は質がちがうということでしょうか。それとも大使館を通さない書類でNZ国内にいる外国人の私が公務員にやってもらうときにはお金がかかるということでしょうか。でも、労働許可については、数ヶ国あるうちの取り決めwaverに入っているらしく無料でした。

朝9時には移民局のカウンターには長い行列ができていました。1時間ほど順番待ちをしたあと、さらに2時間半ほど面接のために待ちました。私たちはその日の67番でした。面接にかかる時間は30分ほどです。9月末に申し込みをした永住権申請の書類一式がまだ手が付けられないまま移民局にファイルされていました。係りの人は、申込数が多いので処理が滞っていて...と申し分けなさそうでした。対応は親切で、1対1のときはいいのですが、永住権の申し込みは担当者が当てられるまではただひたすら待つのみです。1年か1年半かもわからないといったありさまです。まあ、移民局に書類があったおかげで、家族と撮った写真や友人からの証明の手紙など揃っていたので、一応全て用意していったのですが今回はビザ申請書以外は何もいりませんでした。最も重要なのは健康診断書でした。伝染病、とくに結核にかかっていないことをみられます。でも、さらさらとチェックしただけで、じっと吟味することはありませんでした。当日面接をしてもらえたので4時間くらいで取得できたわけですが、書類を置いてくる方法で申し込みをした場合には3週間かかると言われました。なにか漏れがあったり、その場で質問されて答えることができないので、目の前で見てもらった方が確実です。手数料は、永住権ではNZ人が現金代わりに持ち歩く銀行カードのEFTPOSは使えず、VISAカードで支払いましたが、今回はEFTPOSで大丈夫でした。HPにはover the counterならEFTPOSが使えると書いてあります。受け付けのカウンターを超えた、中の部屋のデスクでなら、ってことでしょうか。行ってみないとわからないものです。

以前HPで、一家で移民申請をして1年以上待っていた家族の話を読んだことがあります。教員だった御主人がクライストチャーチで民宿をはじめられたそうですが、その方の場合は、オークランドで申請をしたら、8ヶ月たったころ「処理がおくれているので香港に送ってもいいか」と聞かれ、結局あと4ヶ月待ったということでした。アジア人の書類は一括して香港が管轄しているそうです。日本から申し込むと書類は香港に送られると聞いていました。私たちの場合はそれなら何かあってもすぐ出向ける地元のウェリントンで申請しようとマットの意見に同意してこちらで申し込みました。ビザをもらって帰り際に香港に永住権の書類がまわることがあるかどうか聞いたところ、ウェリントンに住んでいるのだったらここで処理しますということでした。よかった、外国に回されなくて。おそらく、一家で旅行者として永住権を申し込んだ場合と、夫ともうNZに住んでいる場合とでは扱いが異なるのでしょう。

31歳未満の若い方には、ワーキングホリデービザがあるので、その年の許容人数に入っていれば数ヶ月で下ります。ただし、NZに入国する航空券の日付が、誕生日より前でないとだめですし、NZで無収入でも生活できるだけの貯金を証明しなければなりません。ワーキングホリデービザは日本で申請して待っているだけで取得できます。ビザの下りるころを見計らって航空券を予約するのがやっかいなところですが、空席の取りやすい時期や、前もって出発がずれる可能性があることを相談しながら予約するといいです。ちなみに航空券の安い時期は、たいていの場合、大学生が授業を受けている時期、つまり、一般の人が誰も休暇をとれない時期です。

NZに来る前にビザを取って働く場合は、雇用主の証明や自営の場合にはその人の技術や貯金の証明が必要です。ビザと労働許可の違いは私もよくわかりませんでしたが、平たく言えば、NZ国内にいるときに働いてもよいという許可で、「車を運転してもいいよ」という運転免許みたいなものが労働許可で、どういう身分でNZ国外からくるかという通行手形みたいなものがビザです。(これはビザ取得の説明書にずいぶん詳しく書いてあります。読んでいてこんがらがった。)ビザには、2年契約の社員などがその期限で1回だけ使えるものと、期限内なら何度でも国外出入り自由の物があります。日本にある外国人の再入国許可書と良く似ています。

余談ですが、

①NZ人と結婚して永住権申請をしたテキサス出身の友人は、係員に間違った申請を指示されたので、入国したときには難民扱いされました。本人いわく「なせ母国を離れなければならなかったかって言われても...」

②歯科助手の英国人の友人が、係員に間違った健康診断書を渡されたので、お金をはらって作った診断書は使えず、費用も弁償してもらえませんでした。もう一度最初からやりなおしたけど、ビザ延長の期限が迫っていたので、ほんとに泣きながらやってた。年末年始もクリスマスも働きどうしだった彼女。病院に行く休みも上司がいい顔をしなかったそうです。かわいそうに。

③私の就労ビザは1度カードで支払いをしてしまってから、「あら、日本人は無料だわ」といってその場で払い戻しされました。「何カ国もあるから覚えられないのよ」って言ってた。いいけど、気がつかなかったらそのまま1万円払ったままだったかも。

なんでもよ~く聞いてたしかめないといけません。今回だって、電話でマットが「妻の滞在期限がきれるのですがどうしたらいいでしょう」と尋ねて、初めて「パートナービザ」がとれますよといわれた。それは就労ビザの身元保証人がパートナー(結婚していなくてもよい)という場合で、そういう名前のビザは目次にもなく、雇用主が決まっていないところで申請してもだめだろうと手をつけなかった物です。また、2年間とか、いつまで仕事を与えられるか書きようがないので、ビザもいつまで取ればいいのか、面接するまでわからなかったです。とにかく、この国でことを進めようと思ったら、個人的に面と向かってかけ合うのがいいみたいです。

その8 2005年になりました

ずっと書いていませんでした。あっというまに新年になっていた。

マットがコンピューターをバイトで使うようになったこともあり、最近はあまりPCに向かっていませんでした。引っ越してきた当初はさびしいことも手伝って日に3時間もメールなどで使っていました。気候もよくなってきたので家にこもらなくなったのはいいことかもしれませんが、書きたいことがずいぶん溜まってしまった。まず最近していたことをいくつかあげてみます。

11月16日から3週間岐阜県に帰っていました。

12月12日に母と叔母をつれてウェリントンに帰り、18日にはこちらの結婚式を挙げました。{その10に書きます}

自動車免許の勉強をはじめました。今は国際免許なので7月に期限が切れる前にNZの免許を取ります。(その11に書きます)

ひとりで運転をして30分くらいかかるスーパーに行けるようになりました。自動車道にもまちがって乗りました。マットは青くなっていました。

市民講座でマニュアルカメラの初級コースに申し込みました。

親しい友人ができました。ご近所もみんないい人です。

1月10日に18ヶ月有効の就労ビザをとりました。これで働いても合法です!(その9に書きます。NZに住みたい方はどうぞ読んでみてください)

いろいろなことがあり、そのあいだにクリスマスとお正月が挟まってよく友人が遊びに来ました。人と会ったり、小さな庭の草取りをしたりしていると1日が早く過ぎます。仕事が見付かったらもっとはりのある毎日になると思いますが、いまは時間があるから楽しめることをじっくり味わってすごそうと思います。これが生活に慣れるということでしょうか。マイペースを見つけるまでが一苦労だと在NZ20年の友人が言っていたけど、風土に慣れるだけでも大変だとわかりました。焦ってもビザがないときには働けません。イライラしてけんかも絶えなかったけど、もう1年永住権を待っている間にも働けて外国への出入りが自由なビザが取れた今はずいぶん落ち着きました。パスポート2ページの証明書がこんなに精神的にも身分も左右するものかと思います。この国にいてもいいと思ったら、なんだか自動車免許の試験勉強もやる気がでてきました。今までは事故がこわくてあまり乗らずに人に頼っていましたが、自分でいつでも出かけられる自由な気持ちはなにものにもかえがたいです。車の運転やスーパーに買い物に行くような平凡なことで生活するのが楽しくなるとは思いもよりませんでした。

目標として、書いてしまおう。

筆記テスト(その場でいくつ間違えたかわかるスクラッチテスト)をパスする。

NZ名物、パブロヴァを焼く。膨らまなくてもいいから一応挑戦する。{ちなみにアンナパブロヴァにちなんで名づけられた卵白のケーキのことです。}

楽しい和食をつくる。工夫しておいしいものを作ってみよう。料理酒も買ったし。

2月にはこんなことをしたいです。もしかしたら3年前に卒業したかわいい生徒さんたちが数日間遊びに来るかもしれません。観光はなにもないけど私が好きになった街も見てもらいたいし、驚きのNZもみんなで楽しみたい。まだ車に人は乗せられないけど、今からとても楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

November 03

その7 テュイとケルル

この2つの聞きなれない言葉はニュージーランド原産の鳥の名前です。今回は私が特に好きな愉快な鳥について書きます。

今は午後7時を回り、サマータイムなのでまだこれからテニスの2セットくらいはできそうな明るさなのですが、オレンジ色の海を見ながら飲んでいたクラウンラガーというビールがあんまりおいしかったので、最初はビールについて書こうと思いました。でも、もっといっぱい飲まないとお酒についてはたくさん書けそうにないので、また次回にします。ワインの国に来たのに、グラス2杯で最近は満足してしまい、4杯めには耳までワインに浸かっているようで楽しめなくなったので、12月18日のこちらの結婚式ではひっくり返らないように気をつけないといけません。お披露目会ではさいきん親戚のおじさんが一押ししてくれるピノグリという味わい深いワインがメインに出される予定です。 白ワインのことを書いていると貝がとっても食べたくなります。いつか妹の真似をして、NZ南端のスチュワート島で潮干狩りをして、ボンゴレスパゲティーを作ってみたいです。

そういえば鳥から名前をとったテュイTwiというビールがあります。テュイ はNZの酒屋さんならたいていどこでも売っているビールです。好きな鳥の名前が付いているのでおいしいかどうかマットに聞いてみると、「とても貧乏な学生が味わわずにがぶ飲みする安いビール」ということでした。ウィスキーでいえばREDでしょうか。そういえば昨日の花火大会で遊びに行った、港が絶景でみられる友人がたくさん用意していました。売れないデザイナーだからなあ...。

かわいらしい響きのとおり、テュイはなんでこんなに愛らしいんや~、と思わず岐阜弁で言ってしまうくらいかわいらしい姿の鳥です。全体が黒っぽくって、喉元に白いふわふわの綿毛の小さなポンポンがくっついています。NZは庭に生い茂るシダなど、トロビカルな草木がたくさん生えていて、ちょっとしたジャングルの中に人が家を建ててるような感じなのですが、今朝窓の外を眺めていると、2羽のテュイがなんとなくトロピカルな木の枝でダンスをしていました。。鳥のけんかにしては熱い様子ではなかったのでダンスに見えたのですが、なんとそのうちの1羽がベランダ白いの手すりに近寄ってきて、「あ、人間だー」というようにのんきにこっちを見ました。 私は寝ぼけた顔で頭に緑色のタオルを巻いていたのですが、それを見て目が覚めました。好きな鳥がそばに飛んでくるとどきどきします。そして何を思ったのか、そのテュイがのどの白いポンポンを見せながら部屋の中に飛び込もうとするではありませんか! 私のフラットは古い家の2階で、壁2面いっぱいの窓からは海と林だけみえます。海に面した風当たりの強い窓はいつも閉めてあるので、こっちが「あっ」と思った時にはもうバサッとガラスにぶつかって、ベランダに落下していました。

頭のタオルがバッタの色にそっくりだったからかも...首折れんかったかなあと同情しながら見ていると、そのテュイはへこたれずに90度回り込んで、別の窓に向かってまた突進。かわいそうで見ていられなかったのですが、そこはさすが野生。すんでのところでぶつからずに空中でとまると、窓の端っこのクモの巣をペック!peck と1回勢いよく突っついて林のようなお隣さんの庭の中に消えていきました。英語の単語には、音からとったとしか思えない擬音語のような単語がありますが、ペックも突っついた音のまんまです。

ところでテュイの鳴き声はといますと、これが書くのがちょっと難しい。よくよく聞いて見たのですが、何種類も音が出るので、聞こえてきた音を書いてみます。...ギコギコギコ、ピューピュー、ヒョーイ、ヒヨヒヨ、ホー、カタカタカタカタ...こんな感じです。ハ行の音が多くて、とても澄んだ、伸びやかな音で鳴きます。最初は何種類も鳥が鳴いているのかと思いました。30センチ位の大き目の鳥なので、声も大きいですが、いつ聞いてもいい気分にしてくれます。

もうひとつの変わった名前、ケルルは、ちょっとかわいそうなNZ原産の野バトです。モザイク作りが大好きで、アートのセンスのある義理の母のスーちゃんは、「あの緑色に光る羽、素敵でしょう」と言っていましたが、たいていのひとはケルルと聞くと少し同情したような調子で、「あの太っちょの鳥ね」といいます。NZ原産だけあってみんなに好かれているハトなのですが、特に昔はマオリ族に大人気だったそうです。というのは、だいたい想像がつくかも知れませんが、よくディナーにされていたのだそうです。

ケルルはちょっと大き目のハトで、全体がきれいな深緑色ですが、緑の鳥が白いスクール水着を着ていると想像してください。緑の羽は光が当たるとカラスの濡れ羽色によく似たシアーを放ちます。羽根と首から上は緑で、そのあいだは首輪と胸当てが引っ付いたように見事に真っ白に抜けているんです。森をバックに飛んでいてもすぐ見つけられます。くちばしと目の周りは鮮やかな赤色で、木に留まっている時は、なんてきれいな鳥なんだとため息がでますが、飛んでる姿はひと言でいえば「重たそう」です。なんでも赤いベリーをたくさん食べると、コアラのように胃で発酵するのか、酔っ払ってしまうのだそうです。そして昔は、お腹いっぱいでふらふら地面につきそうになりながら飛んでいるケルルを、マオリ族が難なく地上で捕まえて家族の晩ごはんにしていたのだそうです。今は国で保護されていて、ローストハトにされることはないのですが、やっぱりぼてぼて飛んでいるのを見ると、大丈夫かなあ、と心配になるのです。

October 03

その6 ひと月ぶりです

ハネムーンに行っていたので、ずいぶん書きませんでした。

面白い旅行だったので、また後日書きたいと思っていますが、今日はちょっと慣れてきたNZの生活の何コマかを書きます。

天気や強風について時々ふれていますが、所変わればずいぶん違うということがわかりました。ついさっき、海岸近くの親羊と子羊が10匹いる田舎の家から帰ってきたのですが、そこではウェリントンでは見たこともない霜が降りていました。

早朝、薄氷が水溜まりに張っていて、子どもの頃よく靴の先で割ったなあと懐かしく思い出しました。ウェリントンからは車で1時間半、70キロ離れた、levin(レビン。昔、美術部の先生がこの名前の車に乗ってた。古いのは黒白で角張ってて速そうでかっこいいですね。)という小さな町の近くにある、週末用のくつろぎの家に1泊してきました。まだ改装中でやっと暖炉が入ったばかりで、これから手塩にかけて仕上げようという物件です。スーチャンのパートナーのロバートさんの持ち物で、毎週末に手入れをしにきます。お隣さんは馬を3頭飼っていて、フェンス超しに遊びに来たので、久しぶりに柔らかい鼻先をさわりました。

9月だけど春なので、ひなたぼっこしながら外のデッキでサンドイッチを食べたり、マットの幼なじみ2人と4人で夜は暖炉の前でしゃべったりしていい気分転換になりました。

楽しさを倍増させるようなこともありました。5年前に1度あったアクシデントらしいのですが、田舎の家に着いてすぐ、なんと水が出ないことが判明。トイレの水はタンクにあった分だけ3回くらいは流れたのですが、手を洗う水が出ない。

田舎では今でも、屋根にあたった雨水をタンクに溜めて、それを沸かしてシャワーや炊事に使います。犬が飲むにはいいそうですが、私は歯磨きしたらお腹をこわしました。もちろん飲み込んでません。 今回は、屋根の樋がつまってタンクが空になっていたそうで、マットが「なにもお客さん連れてきたときにこわれなくても...」と運の悪さをしきりに嘆いていました。こんな時に限って弟もお姉さんもスーちゃんも携帯にでず、次の日スーちゃんたちが来るまではスーパーで買った10リットルタンクの水でしのいでいました。 それはそれで、4人揃って(大阪弁では)マクドに15分かけて車でトイレに行ったり、「今日の腸の調子はどうだった?」とか、なんともオープンな会話で盛り上がったりしたのが思いがけず楽しいかったです。一緒に泊まった英国人のダニエル(女性)に、「あなたに会ってまだ2日目だし、NZに住んで1月だけど、こんなにディープで自分をさらけ出す会話をしたのは産まれてはじめてだ。」と言ったらうけました。

さて、ハネムーンを除いてNZ生活も4週間ほどになり、知り合いができはじめる頃となりました。 まだ地域の活動や労働など社会生活ができていないので、家族の知り合いと会う機会しかなかったのですが、今日こんなことがありました。

文房具屋で12月のこちらでの結婚式用の招待状を選びに行った時のことです。 レジで支払いをしていると、すこし年上くらいの明るい女性が「結婚式用の買い物かしら」と勢いよく声をかけてきたので、そうなんですよ、12月に2回目のお披露目なんです...と答えると、「あしたからリソグラフの個展をするから港の美術館にぜひ来てください。無料よ!」とこれまた勢いよく招待されました。 笑ったら圧倒されるような明るい人が時々いますがそういうタイプの女性で、ユーゴの人だそうです。 東欧の移民にしては錆びてない普通の車に乗ってたので、普段は何してる人かなあと興味がありますが、また運がよけれは展覧会であえるでしょう。 25人のアーティストが合同で開く展覧会らしく、前から気になっていたギャラリーなので、昨日晩御飯を一緒に食べた「バラを描くのが好き」なかわいらしい人と一緒に行こうかなと思います。

そういえば、高校に入学したり転校したりすると、ひと月くらい落着かないかも知れませんね。友達といえる人ができるのも、ひと月やふた月はかかるような気がします。環境が変わって友達をつくる機会もあまりなかったので、かなり焦っていたのですが、おおらかに心を閉ざさずに生活していれば、状況もいい方へ変わっていくような気がします。

日本で木枯らしが吹く頃までには、何らかの地元の会に参加して、できれば英語や日本語を教えるボランティアをしていたいと考えています。 半年か1年、永住許可が下りるまで待たなければなりませんし、待っている間に取得できる一時労働許可が下りるまで何ヶ月かは有給で働くことができません。じっとしていても知り合いは増えないし、地元の情報も入ってこないので、まずはお金のことは考えず無給の活動をしてみようと思います。 将来の心配がないわけではないのですが、心配よりも可能性の方を楽しみに、元気にやっていったほうが良い方向に進めそうです。

この国は若くて競争も日本ほど激しくないので、人に頼んだら何とかなる(後日詳しく書きます。びっくりです。)とか、やってみると道が開けることが予想以上に多いような気がします。 ボランティアで働いているうちに、日本関係の企業やなにか仕事につながることに関わるかもしれません。そんな希望も大事にして、ときどき不平も言いますけど、前向きにがんばっていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

September 01

その5 風速180キロ!40年ぶりの嵐

 8月14日月曜日夜から19日金曜日未明は、NZで40年ぶりといわれたサザリーが吹き荒れました。日本の台風も膨大な被害をもたらしますが、それとはまた違った、南極大陸の底冷えが伝わってくるような恐ろしい嵐でした。サザリーは普段なら数時間で穏やかな海に戻ります。この辺りの子供たちは平気で風速60キロの風の中を登校するほど風に慣れていますが、今回は休校になりました。サザリーはNZ全体で吹く風ですが、首都ウェリントンは北島の南端に位置していて、南から上がってくる風が海で勢いを増してぶち当たる所にあります。いつもは生活の中に染み込んでいる風ですか、今度は住民が考えもしなかった規模の大嵐になりました。
 
この白い嵐は3日3晩、雹といっしょに吹きっぱなしで、いつやむとはまったくわかりませんでした。月曜日の夜には、今夜はあれるねえと、みんなが言っていましたが、まさか次の日になっても止まないとは誰も思っていませんでした。
マットが「こんなはずじゃないんだけどねえ」とのんきに空をみていたので、少しは私も落ち着いていたのですが、雨はひどくなるばかりでした。嵐の最中にこのページを書こうとしたのですが、そのうち不安で書けなくなりました。屋根が飛んだらどうしようかと恐ろしくなり、2日間も息を殺してじっとしていました。歩いて行けるところにはコンビニも自動販売機(駅でしか見たことがありません)もないので、なんとか家にあった食料でしのぎました。3日目にはダウンして、ベットにもぐって風の音を忘れようとしたのですが、まったく止む気配がありません。窓の外は、いつもなら湾を挟んで目の前に見えるはずのウェリントン市街が白い海で見えず、5日目にやっとうっすら見えた時にはほっとしました。木々の揺れかたは、日本のテレビ中継で見る台風のそれと同じですが、嵐がいつまでも通り過ぎないのです。天気図では、北島を飲み込むような大きな渦が居座っていました。自然の驚異にされるがまま、という感じでした。南極や、周りの海水の温度などいろいろな条件が絡みあい、首都圏はとくに天気の予測ができません。3日後までテレビでやってはいますが、天気は15分ごとに変わります。 ましてやこのサザリーは、どこまでひどくなるか、いつ止むのか、嵐の3日目までわかりませんでした。
 
 住民のなかには、2004年2月に起きた洪水で住宅が浸水したり、家畜を失ったりして大きな損害を被った人も多数いました。 前回の教訓から、水路を造ったり防災が進んでいたせいもあってか、被害は2月ほどではないということでした。市は7000万円と見積もっていますが、テレビのインタビューでは家を買って2月に洪水にあったばかりの若い夫婦が悲痛な面持ちで土砂の片づけをしていました。1件あたり500万としても、7000万では済まないと思います。また、航路、空路は完全にストップし、飛行機は140便が欠航、9000人が足止めをされました。日本から文化交流のために来ていた歌舞伎の一座がありましたが、予定を3日遅らせて金曜日に発ったそうです。 市が後援するコンサートで、元ル クプルの藤田さん(女性)のステージも企画されていましたが、とても町まで行けませんでした。5NZD(約360円)だったせいもあり、とても楽しみにしていたのですが、残念でした。
 
 嵐がひどくなってきた14日には、日本の多治見市から子供たちがホームステイに来ていました。マットの知り合いの女性が先導してみえたのですが、飛行機から下りられないのではないか、と心配しました。 摂氏5度くらいの穏やかな冬を期待していた子供たちには本当にかわいそうなことでした。ウェリントンから電車で1時間ほど離れた海岸近くに全員無事に移動したそうですが、その方たちが飛行機を下りてからしばらくして、飛行場の天井の一部が剥がれました。滑り込みセーフでほかの空港にまわされずに済んだようです。その後子供たちはホームステイを満喫し、地元の学校にも2日間、体育や音楽、算数、ダンスなどの授業に参加して「学校が一番面白かった」と喜んでくれたそうです。
 次の週の水曜日ウェリントンの町を一緒に歩いて、フェリーでマットの実家まで来たのですが、空は快晴なのに湾の中ほどの波が強くて大変でした。正直なところ、フェリーの屋根の上の席でいい眺めを楽しもうとしていた子供たち3人が、急に高くなった波に驚いて、何度も「きゃー」と叫び出したときには焦りました。様子を見に行こうとしても、床が揺れて立って歩けませんでした。最後部が大きな窓になっていたので、ここからもし誰か落ちたら見えるな...と考えながら柱に捉まっていると、切符切りの係員が外の通路のドアを開けて3人が席につけるまで見届けてくれました。3人とも塩水をかぶって、恐くて歯を鳴らしながら笑っていましたが、後でマットに聞いてみると「今日の揺れは普通だよ、今まで誰も落ちた人はいないし」と、いうことでした。マットの姉のリサは毎日このフェリーで通勤していたそうです。先日夕方街から帰ってくるときに、会社員らしい人がたくさん通路に立って乗っていましたが、あの人たちは海が荒れたらどうするのでしょうか。瓶ビールを飲みながら家路に着く人もいますが、海が荒れてもやっぱり笑って飲んでいるのでしょうか。
 
 このサザリーで命を失ったのは、フィリピン人の郵便配達の女性1人でした。朝早く行方不明になっていたそうですが、地元の被害のニュースを知らず、たぶんいつものように出勤する途中で事故にあったのでしょう。 誰にも教えてもらえなかったのかと思う反面、これほどの災害でこれ以上の人命が奪われなかったのは驚きでした。
 この辺りの住宅はウェリントン湾の眺めが売りなので、急な斜面を削って家が半分突き出したようになっているのをよく見かけます。この嵐で、ところどころ地滑りし、シダの緑がざっくっと削られているのを近所で見ます。 土砂がすぐ軒先に来ている家屋や、庭に上の丘に立っている家の土砂が流れ込んだりする家もあります。
 
 「こんな地滑りや洪水は以前には考えられなかった」と最近よく耳にしますが、オゾンホールの下に位置するこの国は、そのほかにもなんらかの文明の弊害を受けているのではないかと感じています。 近隣の海抜0メートルの国々が大陸の「使いすぎ文明」 のしわ寄せを受けながら自国が海に沈むのを見守るしかない状況の中、もしかしたら、昔はなかったこの災害も...と考えてしまうのです。
 
豆知識:NZでは風速を時速であらわします。風速180kmは秒速では50mです。
August 17

その4 電気調理器と蜂蜜

今日のように冷たい南風が吹く日には
暖かい部屋にいるとほっとします。
明日の予報では最低が5度、最高気温が7度、強風です。
今もサザリーが吹いていてマットに聞いたら
2週間に1回くらい吹く、ということでした。
「南極のちかくに住んでるのを忘れちゃいかんよ」
といわれました。
道路には“ブルーペンギン横断注意”の標識があります。
夜行性なのでいつも渡っているわけではなく
私はまだ見たことがありません。
海岸沿いのいとこの家の縁の下に巣をつくったそうで
騒がしくて困っていました。
広報のような地元紙には、ペンギン好き派・嫌い派の記事が載っていました。
老夫婦が目を細めて庭に出てくるペンギンを見守る一方で
「子どもが夜起きて困ります」という追い出し組もいます。
それにしても、ブルーペンギンってどんな色なんでしょう。
 
幸運なことに、今住んでいる屋根裏部屋にはガスストーブが付いています。
今どき珍しい、と友人がいっていましたが
家具も食器も備え付けで水道光熱費込みだったのは
ほんとに助かりました。
ガスストーブは教員時代、
教室にあってずいぶんのどを痛めた巨大なものです。
大家さんも「工業用って感じだね」 といっていました。
部屋も乾燥しますが、ぶ厚いタオルもよく乾くので助かります。
乾燥といえば、こちらのお風呂場には換気扇が付いていません。
マットの実家やおじいちゃん家にもないので、これが普通なのでしょう。
窓を開けるだけで、湿気はこもらず逃げていきます。
オークランドやタウランガでは夏にジメジメすることもありますが
ここウェリントンでは1月でもカーディガンがいります。
こちらは真夏のクリスマス、お正月なので
女性はキャミソールドレスなどで外出しますが
それは寒いです。朝晩はサンダルが寒かった印象があります。
目の前の海にも、私はまだ入れません。夏でも冷たいんです。
 
家庭用コンロは、電熱式の渦が4つ付いています。
同じ物でドイツでかき玉汁を作ったときに
OFFにしてからも火が通り続けるのを知らずに
ふかしてしまって大変だったことがありますが
それからあの赤い渦でお湯をわかすのはちょっと苦手です。
コンロの下には子どもが1人入れそうな大きなオーブンがついています。
イギリスでよく見る、NZでも一般的なポットの湯沸かし器を新しく買いました。
ホームセンターでトースターとセットで4000円ぐらいでした。
これがとても便利で、1分くらいで2リットルのお湯が沸きます。
ほんとに一瞬です。なんで日本で売らないのでしょうか。
100ボルトじゃむりなのかなあ。
フランスで使ったときには、なぜかお湯が白く濁りました。
あれは何だったんだろう...昔はカルシウムだと思っていましたが
パリの水だったので、そう信じたかっただけなのかも知れません。
大都会の水って、おいしくないですよね。
ここでは白く濁ることもなく、紅茶にもNZ自慢の蜂蜜を入れて
毎日おいしく飲んでいます。
 
冬はスプーンから落としやすいゆるい蜂蜜にしたけど
みのもんたが宣伝して話題になったmanuka(マヌカ)honeyがお薦めです。
免疫が強くなるそうで、味も自然がぎっしり詰まった白っぽい蜂蜜です。
日本ではバロー(名古屋圏しかないかな)で1400円で売っていました。
マットが1度、あまりの懐かしさに
値段も見ないで買い物カゴに入れてレジでびっくりしたけど、
ひっこみがつかずそのまま買ってきたことがありました。
その後もいくつか買い足してた...1年で3瓶くらい食べました。
NZで最初に買ったものはhoney jarでした。
透明のプラスチック製で、マンガみたいなハチの巣型がパカッと上下に分かれて蓋が開くものです。
真ん中にはハニースプーンが立ちます。
マドラーの先がうずうずになっていて、蜂蜜がからみやすいものです。
金色の蜂蜜に空気の粒が浮かんでいるのを見ていると、
熊のプーさんじゃなくても夢見ごこちになります。
引越し前に岐阜の東濃に出た熊はどうなったのかな。
東濃フロンティア高校に勤めてた友人が、ジョギングで山に入っちゃだめよ、と言われたと興奮してたけど。
彼女はスコットランドから来た人で、そこでは熊は出ないらしい。ドイツの人も、日本って熊出るの?ってたまげてた。
...ドイツの黒い森って、熊いないの?と逆に聞いてしまった。
 
外国では、レジのお姉さんや店員さんと何十秒か立ち話する人が多いですが
このhoney jarを買ったとき、ちょっと試しに
「産まれてはじめて蜂蜜入れ買ったんです~」と話しかけてみました。
これまでは、日本から来たんです、とか、あと何日この国にいるんですと
旅先で言うことが多かったのですがこれからは普通に話すことになります。
ジュンコという名前も両親が6月産まれだからとjuneからつけてくれた名前ですが
junk (ジャンク)がごみ、という意味で、おまけにドイツ系のひとにはユンコと呼ばれ、
ヨーロッパ系の言葉を知っている人は迷うみたいなので
呼び名で呼んでんでもらえるようになりあたいなぁと思っています。
年配の人がよくダーリンとかハニーと呼び合っていますが
うちのマットは、私をBee(蜂)と呼びます。
ミツバチがハニービーで、私はビーです。
ある日台所で、マットが得意のボロネーズ(スパゲティミトソース)を作っているとき
周りをうろうろしていたら、それじゃ蜂だ、ということでBeeになりました。
ぶんぶんうるさいらしいです。
ハエじゃなくてよかった。
 

その3 サザリーが来た!

私たちが住んでいるのは屋根裏部屋で
アルプスの少女ハイジのとはちがいますが
自然の勢いをもろに感じる所です。
この1週間のうち2晩ほど雨あられの強風で
屋根に豆が当たるような音で夜中に起こされました。
 
NZの家屋はパイン(松)材が主流で、
日本のトタン屋根や瓦に似たような素材の屋根が多く見られます。
そこに大粒の雨ですから、それはもう大きな音です。
今朝はいつもより寒い朝でした。
昨日のニュースでは南島で雪が積もって
バスが止まっている間若者がはしゃいで雪合戦をしてました。
雪は南島の端やマウントクックの辺りでなければずいぶん珍しいのかも知れません。
大家さんのおばあさんが80歳くらいだそうですが
ウェリントンの丘に雪が積もったのは今までに2回しか見たことがなく
孫に語り継いでいるくらいですから、ここは温暖なはず。
 
でも今朝ヒョウが降りました。
小粒だけど、南風に乗ってしっかり寒さを運んできた。
タイツ送っといてよかった!無駄じゃなかった!
南島から渡ってくる強い風はサザリーというのだそうです。
朝はとってもひどい(miserable ミゼラブル といいます。’ああ無情’と同じです。)
雨と風で空は一面灰色。
こんな日でも月曜日は学校や会社に行かねばならないのか、と
他人事ながら気が滅入ります。
私もほんとは早く仕事がしたいのですが。
 
天気の変わりすいこちらでは「後のことはわかんないよ」 と、
みんな口をそろえていいます。
いってきますと言うのと同じようにそう言い残して、
マットも車のオイルとなんとかベルトの交換に出かけました。
車を預けている間、バスで移動しなきゃならないのになぜこんな日に、と思っていたら
2時間後には晴れました。
窓からサザリーが来るのを見ているときに
「たいてい空の青いところが見えるんだけど、あれがこっちまで来る頃には晴れる」
と教えてもらった通りでした。
ものすごい勢いで自分を吹き飛ばしながら北上するから、そう長くは続かないんだそうです。
相変わらず風は吹いていますが、一面灰色と青色じゃ大違いです。
いっしょに町まで出ればよかったなあと今ごろ思っています。
「夕方まで映画でも見て時間つぶすよ」と電話が入りました。
たまには別々に行動するのもよいものです。
失業者が2人そろって家にいて暇にしているのはあんまりよくない。
9月に3週間旅行に出かけるので
帰ってきてからマットは就職活動を本格的に始めます。
(修正8/24:マットは進学するかもしれません。どちらにしろ、私たちのフルまたはパートタイムの仕事探しは、10月からです。)
 
私も来年くらいには仕事に就いていたいのですが、
永住権をもらうまでは働くことができません。
下手にアルバイトでもしたら、おりる許可もおりないので
しばらくはボランティアで日本語を教えたり
あんまり困っている人がいなさそうな雰囲気だけど
留学生のカウンセリングなどできたらいいなあと考えています。
マットの家族や友人以外には知り合いがいないので
もっとお友達を増やしたいです。
 
ウェリントン湾にこんなに白波が立っているのは見たことがありません。
それにしても、日本の海岸沿いの磯の香りがまったくしないので
海辺に住んでいるという気が全然しません。
サザエも焼いてないしイカも干してない...
イカやアジは間違いなく風で飛ばされます。
潮風は塩で髪が重くなることはなくさらりとした感じです。
でも車は錆びるんだって。
 
今日のお昼はカップラーメンにします。
日清ラ王の触感がなつかしいです。